こんばんは、最近はもっぱらバイトに明け暮れているササキである。
かつて飲食店でアルバイトをしていたが、店長が「ササキは〇〇だもんなァ」としか発しない超絶ジャッジメンタル人間だったため、「クソ嫌いだこいつ」と思って辞めた。
そんな私は現在、ベビーシッターと学童スタッフのアルバイトをしている。
自分の人生を捧げてもいいと思えるくらいには子どもが好きであるし、それはまた未来への投資でもある、と考えている。
しかし、ベビーシッターをしていて最近よく感じるのが
電車内での子どもに対する大人の対応がクソ
だということだ。
子どもたちはおしゃべりが大好きである。
「今日はね〇〇をしたんだよ!」
「あのね、プリキュアのキュアホイップがね…!」
「いちごとうんこ、どっちが好き?」
「おならァ〜あははははは〜!!!」
私はベビーシッターとして仕事をするときは、「子どもは私と同じ一人の人間である」と考えている。
だから、子ども扱いはせず、友人と話すときのように接しているのだ。
「へ〜!いいな、楽しそうやね!」
「そりゃいちごだよね。うんこ食べたことないわ!」
「おなら面白い?楽しそうでいいねェ〜!」
子どもの送り迎えをする際に、一緒に電車に乗るときが多々ある。
そういったときはいつも上記のようなたわいもない話をして過ごしている。
もちろん、初めて会う子どももいれば、すでに面識がある子どももいる。
ベビーシッターは保育士や親御さんとは違って、数時間の中でしか関わりを持つことがないため、電車の中の数分も信頼関係を構築するのにとても重要な時間なのだ。
しかし、今日は、私が子どもと楽しく喋っているとあからさまに嫌な顔をしてこちらを睨み、席を移動した女性がいた。
昨日もそうだ。
隣の席に座っているおじさんがこちらをずっと睨んでいた。
2日前もそうだった。
隣の席に座っている男性がこちらに何度か目配せした後、席を立った。
子どもの話し声がうるさかったのだろう。
きっとしつけのなっていない子どもだとでも思ったのではないだろうか。
でも、ぶっちゃけた話をすると、その子どもの声は普段大人が電車で会話をするくらいのボリュームであった。ただ会話の内容が幼いというだけである。
私はカナダに1年間留学していたのだが、その際に、電車内で子どもが楽しそうにおしゃべりをしていると、近くに座っている大人が微笑んでいたり、子どもたちに話しかけている姿を見た。
そこは、子どもを疎ましく思うような人間が誰一人いない空間だったのだ。
私はそのことがとても印象に残っていたため、日本のこの「子どもが疎ましく思われている」空間に耐えきれなかったのだと思う。
みんながみんな、自分のことに精一杯で、未来の資本である子どもたちの重要性に気付けていないような気がした。
いや、きっと「子どもが大事なのは理解している」に違いないが、その態度が表になかなか出でこない程に消耗しているのだろう。
私は「日本の幼児教育を変えたい」という思いを今まで持っていたが、そこにアプローチするには莫大な時間がかかることに気づいた。
まずは、子どもを大切に思えるだけの「心の余裕」が必要となってくる訳で、働き方の改善などそういったところから着手する必要がありそうだからである。
また「私が日本の幼児教育を変えなければならない理由」を自分の中に落とし込むまでにも相当な時間がかかるだろう。
「幼児教育」という大きな問題を抱えている分野に興味を持ったのが関の山だが、じっくり取り組んでいくしかないようだ。
あ〜、本当に子どもに優しい社会になってくれ〜!