留学1年間の英語力と、今後の目標。

 

 

どうも、ササキである。

 

私は2016年4月〜2017年3月までカナダに留学していた。

大学が大学なので、日本語を喋っていると思えば急激に英語に変わる帰国子女や留学生がたくさんいる。

 

その結果、自分の大学名を言えば「へ〜!じゃあ、英語話せるんだ!」と言われることが多い。これはもはや、呪詛である。

 

留学前の私は、この言葉をかけられるたび、必死に「私全然喋れないよ。帰国子女とかはいっぱいいるからそんなイメージ持たれてるんだろうけど。」と弁解するが、ステレオタイプ人間は

 

「え〜!嘘だァ〜!」

 

という。だから嘘じゃねーって言ってんだろクソ。

英語云々の前に日本語を理解して下さい本当。

 

 

目次

 

 

1年間の英語力の伸び

 

そんな背景もありつつ、様々な要因が重なってカナダ留学を決断した。

このことに関しては、また後日記事にしたいと思うが、およそ1年の留学で英語はどのくらい伸びたのか、というところが焦点だろう。

 

はっきり言うと、「ネイティブレベルに到達したいな」と言っていた留学前の自分に手を胸の前に当てて合掌したい気分である。

 

留学していた周囲の友人とも話したが、1年でそのレベルはかなり非現実的だった。

「どれくらいのレベルに到達するのか?」と聞かれるとそれはそれで曖昧な回答になるので、「何ができるようになったか」を記載しておく。

 

 

 

トラブルに対して対応できるようになった。

 

帰りのフライトチケット購入時に、姓名逆に入力するという史上最高にアホなミスをした。国内線だと見逃してくれるらしいが、国際線だとそうはいかないらしい。

 

友人に朝早く(AM4:00です。本当すみません)空港まで連れていってもらい、チケットカウンターの人に交渉した結果、無事新しいチケットを発行してくれた。

 

10万円がパァになるところだった。フィ〜〜〜〜。

 

 

ひとり旅ができるようになった。

 

留学先はバンクーバーだったのだが、トロントにひとり旅をしてきた。

宿泊先・観光地・航空券など、普段友人と旅行に行く際は丸投げしてしまうのだが、ひとり旅ともなると自分で全てやらなければいけない。

 

初めてAirbnbを使ったり、そこのホストの人と仲良くなってサンクスギビングを一緒にお祝いしたり、ナイアガラの滝のバスツアーに参加して運転手のおっさんと仲良くなったり。

 

一人で行けたからこそ、色んな繋がりができた。

拙くとも英語を使えば意思疎通ができることを実感したのである。

 

 

IELTSでOverall 6.5を取れるようになった。

 

IELTSとは

IELTS(アイエルツ)は正解数に応じて厳密に点数が出るのではなく、スコアに幅(スケール)をもたせたBANDスコアという方法で評価。


具体的には1.0~9.0の中で0.5刻みのバンドが用意されている。

ー参考元「アイエルツナビ」

 

日本ではもっぱらTOEICが重要視されるが、このIELTSのスコアが海外の大学・カレッジ入学の際に求められることが多い。

 

私が帰国してすぐ受けたIELTS、その結果は以下のようだった。

 (留学前には受けていなかったので、どのくらい伸びたのか比較はできないが。)

 

Reading 7.5

Listening 7.0

Writing 6.0

Speaking 6.0

 

Overall 6.5

 

 英語を一番の苦手教科としていた私にしては頑張った方である。

 

海外で保育士になる際、専門学校へ入学するつもりだが、そこで求められるスコアはOverall 6.0以上なので、ギリギリセーフだ。 

 

しかし、このIELTSの有効期限は2年間であるため、2年後に同じスコアが取れるかといえば現段階では絶対に取れないだろう。

 

 

 

だって、英語勉強してないから。

 

 

 

 今後の5つの目標

 

このままでは非常に危ない、そう思った私は今日この記事を書いている。

人に宣言しておけば逃れることができないタチなので、ここに記しておきたい。

 

①IELTSを受ける

 

一回受験につき、25,380円。くそ高えよ。

なので、そんな何回もバンバン受けるわけにはいかないのがIELTSだ。

マジでお財布に手厳しい。

 

しかし、ダラダラしても一向に勉強しないため、まずは2ヶ月後あたりに行われるIELTSを受験しようと思う。

 

 

目標は 

Reading 7.5 → 8.0

Listening 7.0  → 7.5

Writing 6.0 → 6.5

Speaking 6.0 → 6.5

 

Overall 6.5 → 7.0

 

スコアを0.5ずつあげることだ。

 

 

②英文を音読する

 

大学受験の際にも役立ったのが、音読である。

何度も何度も英文を音読することで、文の構造が把握しやすくなったり、文章問題でも読むスピードが格段と上がるのだ。

 

また、英語を読めている自分今カッコイイという自惚れ現象が起こり、英語学習に拍車をかけることとなる。

 

一日、英文記事を1つ音読することを心がける。

 

 

③ラジオを聴く

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移動の最中は、いつもスマホを惜しげもなく意味もなく、いじっている。

この時間が非常にもったいないので、英語のラジオを聴くことにした。

 

TuneInというアプリがあるのだが、様々な国のラジオを聴けるので大変オススメである。

 

ちなみに私のホストファザーはラジオ局で働いている。

 

 

④洋画を観る

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一番手っ取り早く、楽しく英語学習ができるのが洋画を観ることだろう。

 

『How I Met Your Mother』にどハマりしていたのだが、最近はゴッドタンしか見ていないので、もう一度見ることにしようと思う。

 

ちなみにオススメのキャラクターは街頭に寄りかかっているバーニーである。

ワタァァ〜ップ

 

⑤ミートアップに参加する

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(カナダでBBQミートアップに参加した時の写真。 )

 

 

ミートアップ(https://www.meetup.com/ja-JP/)とは

サイト上に様々な分野・地域のコミュニティ(Meetup)が登録されており、その中から好きなものを選択するだけで、同じ興味を持つ人同士が、簡単にオフラインで集まることができる。

ものである。

 

私はSNSが長続きしないタイプの人間であるため、直に人と話す機会が欲しいのだ。

 

なので、英会話関連のミートアップに積極的に参加し、交流をしていく中で英語を学んでいきたい所存である。

 

 

 

 

 

本日付で、英語勉強に熱が入ったため、再度頑張っていこうと思う。

 

 

 

会って深まる仲、会って減っていくネタ。

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どうも、ササキである。

一人で水タバコを吸いに行こうとしたものの、ヒヨって現在はカフェの片隅で大人しく身を潜めている。

 

誰か一緒に水タバコを吸いに行ってはくれないだろうか。

私自身、タバコは吸わない人間だが、水タバコとは一体どのようなものなのか。

日常に舞い降りた非日常に好奇心しか刺激されない。

 

 

 

そんな私は昨日、バイト後、友人Iと吉祥寺で密会した。

 

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この記事でも登場した友人Iであるが、実はこの記事の三日前に密会していた。

つまり、彼女とは単純計算で言っても週3回は会っていることになる。

 

-友人Iとのアジェンダ

9月12日(火) 某円寺にて23時スタート

9月14日(木) 新宿にて20時スタート

9月17日(日) 吉祥寺にて22時スタート

 

双方のバイト・インターンが終了次第、近場で落ち合うため、開始時刻は基本的にレイトだ。

 

また、これと言って飲みに行く友人もサークル仲間もいないため、双方の娯楽としての出費はここだけであると言っても過言ではない。

 

そんな「二人っていつも会ってるよね〜!仲良いね〜!」という生ぬるい言葉で終わるような関係ではない闇属性の私たちであるが、昨夜ある弊害が生まれていることが確認された。

 

 

それは、

 

 

 

「〜でさぁ、こんなことがあったんだよね。」

 

「あ、それ前も話してたね。」

 

「〜でさぁ、こんなことがあったんだわ。」

 

「あ、うんうん。この前聞いたわ。」

 

「〜でさぁ、こんなことがあったんだよね。」

 

「あ〜、聞いたね、それ。」

 

 

 

会いすぎて双方のネタが一向に更新されていないということである。

 

 

 

会う回数を重ねるたびに深くなっていく仲、

 

会う回数を重ねるたびに減っていくネタ。

 

 

 

私たちはその反比例に苦しむこととなった。

 

今では「あ、そういえばゴッドタンの後藤面白いよね」というクソしょうもない言葉しか発することのない私の口と、学校へ行こうのマサーシーやばかったね」というクソしょうもない言葉しか発しない友人Iの口がただそこにあるだけである。

 

そして次第には、ネタが更新されていないことを双方が理解しているため、新しいネタを発するであろう時は

 

 

「ネタ、更新します。」

 

 

というクソしょうもない一言を挟まなくてはならないという無言の掟ができあがっていた。

 

赤から吉祥寺店で、レモンサワーとスミノフレモネードをすすりながら、鍋をちまちまとつつくネタ切れの私たちは一体どこへ向かっていくのだろうか。

 

その不安に苛まれながらも、友人Iはレモンサワーに入っているレモンを潰す勢いを止めることはなかった。また私もこの店長前も見たわと既視感を止めることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

そして店を出た後、友人Iは物思いに耽るようにそっとこう呟いた。

 

 

 

「どんな大人も小学生の時代があったと思うと不思議だね。

 

もし20歳のまま、30歳のまま生まれてきたら、どうなるんだろう。」

 

 

 

いくらネタが更新されていないからと言って、その収束のつかなさそうなたられば話は、どうなのだろう。

 

 

 

「それは、もう神が決めることだよね。」

 

 

 

神?神が出てきちゃうの?その答えに?

神で収束つけたの?まじかよ。

 

 

 

呆気にとられる私を余所に、楽しく話を続ける友人Iを見て、今日も平和だと思ったのであった。

 

 

【ベビーシッター流】子どもへのポジティブな指導の仕方

 

 

どうも、カオスが足りていないササキである。

先日の記事で中高生時代の校則が珍妙だということを書いた。

 

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最近、子どもに関わるアルバイトをしていて思うのは

 

「〜しちゃダメでしょ!やめなさい!」

 

という言葉がよく使われるということだ。

例えば、廊下を走ったり、危ないことをしているときにこの言葉をよく聞く。

 

 

 

 

上記の記事で言えば、校則を破ったら、

 

「眉毛剃ったね?ダメでしょう。はい、眉毛誓約書書いて。」

「キーホルダーは10cm以内のもの1個まで。はい、それ外しなさい。」

 

と言われるのと同等のことである。

「どうしてダメなんですか?」と聞けば、教員側はそれらしい答えを返してくるだけで、生徒側が納得するようなものでないことは明らかである。

 

 

 

 

学生を指導する立場にいる大人として、この「〜しちゃダメでしょ!やめなさい!」はとても重宝される言葉だと、私は思った。

 

ただその言葉を発して怒鳴れば、子どもは今やっている悪い行いを直ちに止めるからである。しかし、その言葉の効力は一時的なもので、子どもたちはまた直ぐにその悪い行いを始めるのだ。

 

 

なぜなら、多分ふわっと「これはやってはいけない」と思っているものの、彼らはなぜそれがいけないことなのか理解できていないからである。

 

 

私も時々「ほら!それやめな!」と言葉にしてしまうことがあるのだが、それで子どもたちの態度が改まったことはほとんどない。

 

だから、この「〜しちゃダメでしょ!やめなさい!」をあまり使わないようにしている。

 

「なんでこれがいけないと思う?」

「これって安全?それとも危ない?」

「もし、ここから落ちたらどうなると思う?めちゃくちゃ痛くない?」

 

という言葉をかけ、子どもたちに考えさせるようにしている(つもりである)。

中にはおちゃらけた態度で

 

「ん〜、危ない(笑)でも大丈夫〜!」

 

と平気な顔をして言ってくる子どももいるが、

 

「うん、危ないね〜」

 

と言って止めてくれる子どももいる。

 

上記のような場合は、大人の気を引きたいか、それともその危ない行為を楽しんでいるかのどちらかな気がする。

 

大人の気を引きたい子どもに対しては、「ふ〜ん、あっそう。私向こう行くね〜。」と言って流せば自然と「ええ!待ってよ〜!」と後を付いてくる場合が多い。

 

逆にその危ない行為を楽しんでいる場合は、怪我をしたら元も子もないので、「よし!自分でやめられますか?それとも私の手伝いがいる?!」と言って無理やりその行為を終わらせるようにしている。

 

 

 

また、もう一つ役に立つのが、子どもたちの注意を危ない行為から逸らすことである。

 

危ない行為をしている子どもに「それ危ないからやめなよ!」ではなく、

 

「ねえ〜、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけどさ〜」

「ちょっとこの遊び楽しそうだから一緒にしない?」

 

と話かけると、大きな確率で注意を逸らすことができる。

このやり方は「なぜそれがいけないことなのか」理解することには繋がらないが、「〜しちゃダメでしょ!」よりかは遥かにポジティブな指導の仕方であると思う。

 

 

子どもへの指導は難しいが、色々学び試行錯誤しながら取り組んでいきたい。

 

 

おそ松さん2期が楽しみである。

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どうも、10月から始まる「おそ松さん」2期を心待ちにしているササキである。

 

カナダに留学する1〜2ヶ月前という微妙な時期にハマりだしてしまった「おそ松さん」。

 

どれぐらいハマったかというと、推しのキャラクターを何も見ずに描けるようになったというレベル、つまり二次創作あたりまでハマっていた。

 

これはオタク界隈で「沼」と呼ばれるものに相当する。

まだ浅い沼である。

 

「カナダでは極力日本語に触れない」という目標を立てていた私にとって、「おそ松さん」を観ないと決めたカナダ初月は実に辛いものだった。

 

しかし、日本にいる現在、特に後ろめたさもなく「おそ松さん」が観れるのである。

これほど素晴らしいことがこの世にあるのだろうか。

 

最近ではYouTubeおそ松さん「ゴッドタン マジ歌」明日花キララ ラップ」を検索にかける日々が続いている。かれこれ1週間は経っている。他にやることはないのだろうか。ない。

 

壁の薄い自室(下の階からは喘ぎ声が聞こえる)で一人で夕飯を口に運びながら、「ハハハハハハハハ」と一人で笑っているその声は、果たして下の階の喘いでいる奴らに届いているだろうか。

 

「よく聞け、全裸のお前ら。私はハハハハ、お前らハァハァ。

YouTubeでカマす、非リアのLaugh。

At the same time. Check it out イェ〜」

 

である。ラップ調で読んでいただけると有難い。

兎にも角にも、喘ぎ声がキツい。

 

 

そんな週2〜3ペースで喘ぎ声に苦しむ私であるが、そんなときは惜しげも無くピクシブを漁る。二次創作の宝庫である。

 

www.pixiv.net

 

おそ松さん」のすごく怖いところは、初めは誰が誰だか全く見分けがつかないのに、いつの間にか「これはおそ松、これはトド松」といったように判別がつけられるようになっているところだ。

 

しかも、「いやみんな顔同じやん」と思っていた当初の自分を消し去りたいくらいには推し松」とやらができ始める。しまいにはグッズにも課金し(私)、持ち物を推しの色で揃えようとする輩もいるようだ(私)。

 

 

また、「夢松」という二次創作も流行っている。

 

おそ松さんのキャラクター×夢主(自己投影型主人公)

 

という一般人からすると闇が底なしの現実逃避と言っても過言ではない代物である。

 

簡単に説明すると、キャラクターが「〇〇(夢主の名前)愛してるよ…」などと発言する、とんでもない妄想の元に作成された二次創作物だ。

 

ちなみにとっても好きである。

ちなみのちなみに「いいぞ〜!もっとやれ〜!!」という感じでもある。

 

 

 

文字に起こしていくと色々自分の欠点を発見し、「だから彼氏が出来ないんだね。悲しき性。了解。」となるが、それもそれでまた乙かなァと言って、バイトに向かう準備をするササキであった。

 

 

ミギー先輩、私は10月から即身仏になる覚悟ができました。

 

www.sasaki-chi.com

 

 

ブログを書いていると「人のためになるような記事を書け!」「ギブギブギブだ!」という言葉が脳裏を過ぎるが、いつになったらタメになるような記事を書けるようになるのか、未だに謎である。

 

 

電車内での子どもに対する大人の対応がクソな件。

 

 

こんばんは、最近はもっぱらバイトに明け暮れているササキである。

 

かつて飲食店でアルバイトをしていたが、店長が「ササキは〇〇だもんなァ」としか発しない超絶ジャッジメンタル人間だったため、「クソ嫌いだこいつ」と思って辞めた。

 

そんな私は現在、ベビーシッターと学童スタッフのアルバイトをしている。

自分の人生を捧げてもいいと思えるくらいには子どもが好きであるし、それはまた未来への投資でもある、と考えている。

 

しかし、ベビーシッターをしていて最近よく感じるのが

 

 

電車内での子どもに対する大人の対応がクソ

 

 

だということだ。

 

 

 

 

子どもたちはおしゃべりが大好きである。

 

 

「今日はね〇〇をしたんだよ!」

「あのね、プリキュアのキュアホイップがね…!」

「いちごとうんこ、どっちが好き?」

「おならァ〜あははははは〜!!!」

 

 

私はベビーシッターとして仕事をするときは、「子どもは私と同じ一人の人間である」と考えている。

 

だから、子ども扱いはせず、友人と話すときのように接しているのだ。

 

 

「へ〜!いいな、楽しそうやね!」

「私プリキュアだったらキュアマカロンがいいわ」

「そりゃいちごだよね。うんこ食べたことないわ!」

「おなら面白い?楽しそうでいいねェ〜!」

 

 

子どもの送り迎えをする際に、一緒に電車に乗るときが多々ある。

そういったときはいつも上記のようなたわいもない話をして過ごしている。

 

もちろん、初めて会う子どももいれば、すでに面識がある子どももいる。

 

ベビーシッターは保育士や親御さんとは違って、数時間の中でしか関わりを持つことがないため、電車の中の数分も信頼関係を構築するのにとても重要な時間なのだ。

 

 

 

 

 

しかし、今日は、私が子どもと楽しく喋っているとあからさまに嫌な顔をしてこちらを睨み、席を移動した女性がいた。

 

昨日もそうだ。

隣の席に座っているおじさんがこちらをずっと睨んでいた。

 

2日前もそうだった。

隣の席に座っている男性がこちらに何度か目配せした後、席を立った。

 

 

 

子どもの話し声がうるさかったのだろう。

 

きっとしつけのなっていない子どもだとでも思ったのではないだろうか。

 

でも、ぶっちゃけた話をすると、その子どもの声は普段大人が電車で会話をするくらいのボリュームであった。ただ会話の内容が幼いというだけである。

 

 

 

私はカナダに1年間留学していたのだが、その際に、電車内で子どもが楽しそうにおしゃべりをしていると、近くに座っている大人が微笑んでいたり、子どもたちに話しかけている姿を見た。

 

そこは、子どもを疎ましく思うような人間が誰一人いない空間だったのだ。

私はそのことがとても印象に残っていたため、日本のこの「子どもが疎ましく思われている」空間に耐えきれなかったのだと思う。

 

みんながみんな、自分のことに精一杯で、未来の資本である子どもたちの重要性に気付けていないような気がした。

 

いや、きっと「子どもが大事なのは理解している」に違いないが、その態度が表になかなか出でこない程に消耗しているのだろう。

 

私は「日本の幼児教育を変えたい」という思いを今まで持っていたが、そこにアプローチするには莫大な時間がかかることに気づいた。

 

まずは、子どもを大切に思えるだけの「心の余裕」が必要となってくる訳で、働き方の改善などそういったところから着手する必要がありそうだからである。

 

また「私が日本の幼児教育を変えなければならない理由」を自分の中に落とし込むまでにも相当な時間がかかるだろう。

 

「幼児教育」という大きな問題を抱えている分野に興味を持ったのが関の山だが、じっくり取り組んでいくしかないようだ。

 

 

 

 

あ〜、本当に子どもに優しい社会になってくれ〜!

 

 

 

 

彼氏が出来なさすぎて「即身仏になるの?」と聞かれた話。

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どうも、ササキである。

この年齢になっても未だに彼氏とやらが出来ず、悩みはするが苦しみはしない。

そんな人間としての義務を果たせない可能性が高い生命体が、この私である。

 

昨夜、バイトを終えた後、私は友人Iとかつてのサークルの先輩Mと新宿で飲んだ。

 

友人Iも私と同様に、彼氏が出来たことがない。

私と友人Iは週1ペース(またはそれ以上)で新宿(または高円寺)の暗闇に姿を惑わすことが多いが、話題はもっぱら「彼氏が出来ないことについて」である。

 

すでにお分かりかと思うが、彼氏が出来たことのない人間2人で「彼氏が出来ないことについて」話したところでそれといった結論はでない。

私たちもそれは重々承知の上なので、ぜひそこには触れないでいただけると有難い。

 

 

 

しかし、昨夜は違った。

 

経験値ゼロの私たちに対して先輩Mはそれなりの経験値を所持していたのである。

現在は社会人として日々仕事に追われながらも楽しくやっているようで良かったが、彼は彼氏が出来たことのない私たちにこう言ったのだ。

 

 

 

 

即身仏にでもなるの?」

 

 

 

 

 

即身仏、それは

 

人々を救済するため、土中に埋もれるなどして、瞑想状態のまま絶命した僧。また、そのようにして死んだ後、ミイラ化した身体。 

 

のことを指す。 

 

つまり、彼が言わんとしていることは「お前たちは彼氏もできないまま子孫を残すという人間としての義務を果たさず死んでいくんですかァ〜?」ということだ。

 

 「ならねーよ、即身仏ゥ〜!!」と勢いよく返答しようとしたが、私の口は私の意思とは別に、勝手に動いていた。

 

 

 

 

「なるかもしれないです即身仏ゥ〜(笑)」

 

 

 

 

全く笑える場面ではないのにも関わらず、(笑)まで付着してしまった。

即身仏になんてならない」と思っていたはずなのに、口から出た言葉は真逆のものだった。

 

もしかすると、「このままでは即身仏になるかもしれない」という深淵に存在していた不安が、言語化されたのかもしれない。

そう考えると、自分の不甲斐なさに泣きたい気持ちになった。

 

 

しかし、それと同時に私は思ったのだ。

 

 

 

即身仏、それはすなわち、「愛」なのではないかと。

 

 

 

もう一度言おう、

 

即身仏、それは

 

人々を救済するため、土中に埋もれるなどして、瞑想状態のまま絶命した僧。また、そのようにして死んだ後、ミイラ化した身体。 

 

のことを指す。 

 

 

即身仏人々を救済するために絶命するのだ。

 

つまり、私たちがもし即身仏として絶命するとき、それはきっと誰かを救済することになる。

 

その「誰か」とは、私たちの子孫になろうとしていた者たちだ。

彼らは私たちが持つ非モテ遺伝子を受け取らずに済み、「ブス」だの「デブ」だの罵られることもない。

 

いじめと間違えられて、一般人から通報されることもなければ、

 

カレー屋に行った際、「お前は豚だから人数にカウントされないよ」と幼馴染に言われたら本当にカウントされなくなる、ということもない。

 

満席のマクドナルドで席を探そうと振り返ったら「…見返りブス」と金髪の兄ちゃんに言われることもなければ、

 

通りすがった子供たちから「や〜い!森三中ゥ〜!!」と言って去っていかれることもない。

 

 

私たちの子孫になろうとしていた新しい生命は、この顔面至上主義の社会に苛まれることはなくなるのだ。これはもはや、新しい形の「愛」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・と、こんなサイコパスみたいなことをずっと考えながらも、「彼氏できないよふぇぇええん」とスタバで嘆いている私をまず初めに誰か救済して下さい。

 

 

 

 

 

中高生時代の校則ってどうしてあんなに珍妙なの?

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こんにちは、冷房がガンガン効いた部屋が好きなのに冷房に弱いというハリネズミのジレンマを抱えたササキである。

 

 

そういえば、私が通っていた中高一貫校には以下のような校則があった。

 

 

①前髪は眉毛にかかったら切る、またはピンで留めること。

 

目が悪くなるから、ということだろうか。

それにしても学生全員にオン眉を強制するのは如何なものかとは思う。

 

前髪は人間の第一印象を決める上でも重要な部分だ。

前髪によってそれぞれの違った個性を発揮できるというのに、それを奪うというのは表現の自由の剥奪に他ならない。

 

 

②髪が肩についたら結ぶこと。

ただし、中学生は二つ結びしかダメ。

高校生は一つ結びでも二つ結びでも可。

 

髪を結べ、というところまでは百歩譲って理解できる。

私が読んでいた少女漫画のキャラクターは高確率で校則に縛られず髪を結んでいなかったが、それは「彼女たちは東京在住だから」という未知の土地への憧れからできた謎の理由で片付けられていた。

 

しかし、「中学生は二つ結びしか許可されない」という無駄な制約は何だ。

どうやら学校側は「二つ結び」と「一つ結び」との認識の間に、大きな溝を抱えているに違いなかったが、惜しくもその溝を私たちの代で埋めることはできなかった。

 

 

③スカートは、膝をついたときに地面に十分に着く長さでないとダメ。

 

スカートの長さが校則で取り上げられる部分であることは重々承知している。

長過ぎれば「スケバン」として摘発され、短ければ「フシダラ」として摘発されるため、私たち学生は「スケバン」〜「フシダラ」という中間地点にいなければならなかった。

 

結局、私たちは「スケバン」でもなく「フシダラ」でもない、何者でもないただの女子中高生にしかなり得ることはなかったのだ。

 

すなわち、このスカート丈に関する規則は、アイデンティティの確立を妨げる校則に他ならなかったことが伺える。

 

 

④携帯電話の所持自体禁止。

 

校則とは学校内における校則である。

 

しかし、この校則はどうだろう。

「携帯電話を日常生活においても所持することは禁止」という私生活にまで及ぶ校則を、果たして校則と言えるのだろうか。

 

技術の進歩が著しい今日に、最先端の電子機器を取り上げることは、私たち学生のメディアリテラシーを奪うことにつながると言っても過言ではない。

非常に学生をダウングレードさせる厄介な校則であった。

 

 

 

 

この他にも、いくつか珍妙な校則があった気がするが、なんせ4年も前のことなので若干記憶が薄れつつあるようだ。

 

今の女子中高生にも「何だ?このクソみたいな校則」という意識が芽生えているに違いないが、どうかそのクソみたいな珍妙な規則に縛られず、学生生活を楽しんでほしい。

 

 

 

 

 

 

以下、友人から「こんなクソ校則もあるよ!」という告発を受けた内容である。

 

 

⑤眉毛を剃った暁には、眉毛誓約書を書かされる。

 

学校側は真剣に「眉毛誓約書」を作っているようだから笑ってはいけない。

 

しかし、こちらとしては「眉毛を剃ったくらいで、眉毛に誓約するものなんて何もない」というのが本音だ。

 

だって、顔面上にいらないと判断された眉毛を剃ったのだから。

 

 

⑥バックにつけるキーホルダーは一つ。10cm以内。

 

こちらは、いつもバックに10cm以上の何かしらを付けていた印象のある友人からの告発だ。

 

キーホルダーの著作権が学校側にあるわけではないが、私たちはバックに付けるキーホルダーの権限まで学校側に掌握されていたのである。

 

どうして10cmに固執するのか、それは学校側にしか分からない己のルールがあるようだ。

 

 

⑦二つ結びが伸びたら、三つ編みにしなければならない。

 

学生側としても、どの長さから三つ編みレベルのものなのか、判断しかねる場合が多く、度重なる風紀違反に見舞われることが多発していた。

 

教員の主観的な判断により「三つ編みレベル」が定められているため、学生にとっては最も不利な校則と言っても過言ではないだろう。

 

 

⑧映画は保護者同伴

 

生徒手帳に記されていたようだが、私はこの校則を認識できていなかった。

認識されない校則はもはや校則ではない。

 

それどころか、映画を観に行く相手を校則ごときに決められるなんて、「校則は一体どこに胡座をかいて学生を見下しているんだ?」とすら感じられる。

 

かつてエドワード・エルリックもこう述べていた。

 

 

「立って歩け。前へ進め。

 

あんたには立派な足がついてるじゃないか。」

 

 

そう、映画くらい一人で行け。

 

 

⑨地毛が明るい場合は、風紀検査の際、親の証言が必須

 

地毛ですら疑いにかかってくる学校である。

かつてどんな仕打ちを受けたのか知らないが、とても人間不信のようだ。

幼児期に愛情が足りていなかったのかもしれない。

 

ここは、学生側が大人の対応をし、

 

「ウンウン、これはねえ、信じられないかもしれないけど地毛なの。

ほら、私のママもこう言ってるでしょう?ね?」

 

と言ってあげてほしい。

 

 

 

 

 

どんどん珍妙な校則が私の脳内に蘇ってくる。

今では笑い話だが、この校則に疑いもなく従っているのは果たしてどうなのだろうと複雑な気持ちだ。

 

引き続き「珍妙校則告発」をお待ちしている。